医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2015年6月1日

(106)心に残った志布志事件

 
 半月も前ですが、志布志事件の警察の捜査を「違法」と認めた鹿児島地裁の判決が報道されました。戦後のドサクサ時代に多発した冤罪の構図が10年ちょっと前まで健在だったというのだから驚きです。いや、今もきっとどこかで、とさえ、思わせます。
舞台は2003年の鹿児島県議選挙でした。初当選した県議が志布志市で買収会合を開いて現金のやり取りをしたとして、15人を公職選挙法違反の疑いで逮捕、鹿児島地検は12人を起訴しました。ところがそれがでっち上げで、2007年、鹿児島地裁は12人に無罪判決を出しました。今回はその続編で、12人の元被告や遺族が国や県に損害賠償を求め、鹿児島地裁は5980万円の賠償金を支払うように命じたものです。
 信じられない事件でした。自民党独占の無投票地区に、無所属の町会議員が立候補し当選、現職 1人が落選しました。警察は「缶ビールを配って投票依頼をした」「お酒と現金を受け取った」「現金を配った」などの疑いで議員夫婦や住民を次々に逮捕し、長期間の拘留中、脅迫的な言動で自白を強要しました。一部の人が警察のいう通りに自白したところ、ニセ自白にもとづいて親族などがまた逮捕されました。起訴後に全員が自白を撤回した事件です。自民党議員と親しい警官が動きました。
 暴力や脅しでも自白させれば勝ち。自白は証拠の王様、の時代の警察の強権発動記念碑ですが、それにしても桁外れの憎悪と捏造、思い上がりは人間離れしています。
 新聞記者は地方支局の警察取材からスタートします。共同会見、クラブ取材は警察、検察、裁判所が始まりです。警察がなければ新聞の社会面は成り立ちません。言う通りに書くことが求められます。いつの間にか「司法は正義」の感覚が育ちます。警察小説では記者はニセ情報をそのまま書き、主人公の刑事から能無し扱いされています。
 常識外の医療事故裁判の判決に、私が批判記事を書こうとしたところ、社会部デスクから「判決は神聖、絶対ですから批判はあり得ません」と、はっきり断られたことを思い出します。何をやろうと批判されない組織はいずれ腐ってくるものです。盗聴捜査、県警の資金集めや幹部の流用金、証拠をでっち上げての冤罪など、明らかな犯罪が警官ゆえに罰せられなかった事件がいくつもありました。
 起きた後とはいえ、志布志事件は新聞やテレビが警察を徹底的に批判した点でも珍しい事件でした。

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