医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2017年12月11日

(234)三井記念病院開設時が演劇に

 先月下旬のことですが、珍しく演劇を見に行きました。親しくさせていただいている三井記念病院 (東京都千代田区) の高本真一院長の企画と聞き、せめて観劇協力ぐらいはしたいと思ったからです。『振り返れば道』という作品でした。
 三井記念病院は三井財閥が1906(明治39)年に設立した慈善病院です。作品は財閥の当主だった三井八郎右衛門高棟と、三井三池炭鉱の技師からグループ企業のまとめ役となった団琢磨の友情と、企業は利益追求だけでなく社会への還元をめざすべしとの共通の思いを描いています。病院は富裕層のものとの常識を慈善病院は変えました。医療レベルも高かったことから近くには、金持ちが貧乏人を装うために着替えをするための店がいくつもできたそうです。1923(大正12)年の関東大震災での復興支援にも三井グループは力を入れました。高本院長はこうした先人たちの遺志を引き継ぎ、伝えたいと、演劇化を企画したとのことです。
 この病院を巡って、私は1994年8月、『朝日新聞』に「病院計画 行政が横ヤリ」との記事を書きました。手狭になった病院の移転が課題になります。すでに東京直下型地震が懸念されており、三井グループはヘリ救急もでき、全国はもとより海外の患者も受け入れ可能な世界最高レベルの1500床の防災拠点病院を地盤のしっかりした多摩ニュータウンに作ろうとしました。しかし、多摩地域の病院や医師は大病院の進出に反対し、東京都も同調しました。都は有明の埋め立て地を代替地と示したのですが、三井グループは「震災時に役立たない」と、結局は計画を断念しました。
 日本全体が劣化傾向にあるのか、今や代表的な企業のごまかし、不正が次々に露顕しています。医療はだれのため、何のためにするか、という基本的なことがわかっていないような病院や医師も目につきます。観劇は企業のあり方、医療のあり方を改めて考える機会にもなりました。

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