田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(115)信じられない不運にただ同情
世の中には信じられないような不運があるものです。
先月、7月26日、調布市の民家に小型飛行機が墜落しました。ものすごい勢いで火災が起き、30代の女性が巻き添えで亡くなりました。調布飛行場から飛び立ったばかりの飛行機は燃料を満載し、重量オーバーで必要な初速が得られず、数十秒のフラフラ飛行の末に墜落しました。
操縦士の技能を保つための「慣熟飛行」との名目の、おそらくは観光旅行、しかも大島だけでなく伊豆一帯を上空から楽しむ企画だったのでしょう。「慣熟」しすぎて、操縦士が十分なチェックをせず、基本的な安全対策を怠ったつけです。それにしても、女性に何の責任もないのは明らかです。
7月19日には静岡県西伊豆町で、動物よけの電気柵の漏電があり、川遊び家族の40代の父親2人が感電死しました。農家のまったくの手製で、決められた安全装置はいっさいなく、電圧は100ボルトより高くなっていました。昼はいつも電流を切っていたはずが、たまたま切り忘れていた、という偶然も重なりました。いずれ必ず事故が起こるというケースで、農家の責任は極めて重大です。
先々月、6月30日には小田原市付近を走行中の東海道新幹線の車内で70代男性が焼身自殺し、煙をすった50代女性が亡くなりました。男性は1人暮らしで年金では生活できないとの不満を世間にPRしようとしたようです。何人かは道づれになってもいいとの思いがあっての行動でしょうが、無関係の人が巻き添えになるのは問題です。
思い返しても、私には、巻き添えや犠牲になった方々ほどの不運はありませんでした。いや、一番近かったのは乳幼児のころの空襲です。そういえば、原爆や空襲で亡くなった何十万人の日本人の大部分は不運な巻き添え被害者だったともいえます。それが、中東では今も……。
平和だからこそ事件が大きく報道され、不運が強調されるのかも知れません。安保関連法案が国会で論戦中、それも終戦関連の8月だけに、意識はそっちに流れてしまいます。