医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2015年1月7日

(86)石垣島で迎えたお正月


 明けましておめでとうございます。
 2015年のお正月、私は沖縄県の石垣島で迎えました。ヒツジ年の大正8(1919)年生まれの義母のお祝いの会のため、子どもや孫、ひ孫などが集まったのです。ヒツジ年生まれの人は誕生日が来ると、満12歳、24歳、36歳…になりますが、その8回目が96歳です。数え年97歳のこの祝いを石垣島地方では「マンタラー」、沖縄本島では「カジマヤー」(風車) と呼んでいます。元は旧暦9月7日でしたが、今は正月の行事になっています。
 義母の米盛きよさんが生まれ住んでいるのは石垣市白保というところです。1月2日午前8時ごろ、小学校の校庭に一族が集合しました。曇空でしたが、気温はもちろん摂氏20何度とポカポカ。今年、マンタラーを迎えたのは白保では男性1人と女性2人でした。小学校の鼓笛隊が先導、3台の車で一族を従え、約2時間がかりの部落内をパレードです。義母は小型トラックの荷台のソファーに座り、2人の娘と長男の妻の3人が介添え役で同乗しました。車には大きく名前が書かれ、風船や風車が飾られました。一族は風車を手に持ち、出会う人たちにも渡します。風車は童心に返る意味で持つとされています。部落の道は人々でいっぱい。自宅前では民謡を歌ったり、万歳三唱などがありました。
 続いて午後 1時から小学校の体育館で合同祝賀会が開かれました。ヒツジ年生まれ全員が対象の盛大な祝賀会ですが、マンタラーの3人が主賓扱い、その12歳下の数え85歳の男女約20人が準主賓扱いです。マンタラー3家族の余興があり、米盛家は白保節などの民謡を踊りました。義母は目下、子どもが5人、孫が17人、ひ孫16人ですが、広い舞台が孫、ひ孫で大混雑でした。この夜、自宅にはひっきりなしに何百人もの人たちが訪れ、あやかりの盃を受けました。地元でも有名な長寿一家でもあることから長蛇の列になりました。義母は7人きょうだいの4番目ですが、上の姉と兄も全員、マンタラーを祝っています。翌日1月3日の昼は一族が集まっての祝宴でした。
 私は昨年、手術を受けるまで、とくに自分の健康を考えたことはありませんでしたが、今回の祝いでマンタラーへの距離を痛感しました。

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