医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2020年3月3日

(344)PCR法を思い出す

 別の話題にしたいと、書きかけながら、新型コロナウイルス絡みの極端なニュースがどんどん入ってきて、急に他の話題が色あせた感じになってしまいます。安倍首相は2月26日、多数の観客が集まるイベントの開催を2週間自粛するように要請しました。思い切った決断に驚いていたら翌27日には全国の学校を3月2日から春休みまで臨時休校せよ、との第2弾です。孫5人の事情は結構複雑で、とくに仕事を持つ娘の子ども3人をどう預かり、通わすか、家内は大慌てです。だんだん外出が減り、おまけに新型コロナではないとは思うものの、時々咳き込む私もいるものですから。欠かさずニュースを見ているうちに食欲がなくなり、体調は不調だった厳寒期に近くなっています。
 前回はクルーズ船の船客を取り上げました。厳密な隔離施設ではなく、しかも患者が何人も出ている職員の仲間たちが食事を運んでくるわけです。船客の検査は階・区域ごとなのか、少しずつ消化です。これでは、検査用のたんなどを提出した翌日、翌々日に感染してもおかしくありません。それから14日、には何の保障もなさそうです。
 私は順番での検査は、感染者の数を大きく見せないためだろうと思ったのですが、ニュースでは別の見方が出ています。検査を国の機関が独占したいため、民間検査センターの活用を避けているというのです。たしかに、なぜかPCR検査は試薬さえあれば大手民間もできますが、厚労省は最初から自治体の衛生研究所の活用のみでした。今は少しずつ広げているようですが当然です。医療関連の検査の大部分はもともと民間に発注されているのですから。
 1883年にPCR法を開発したのは米国ベンチャー企業シータス社の技師キャリー・マリスさん。私は1990年10月、技術導入した宝酒造を取材し、科学面に解説記事を書いていました。もう1本は来日したマリスさんにインタビューした1991年5月の「ひと欄」。マリスさんはサーフィン好きの遊び人。それまでの遺伝子検査法が時間がかかりすぎる、遊び時間を確保するための工夫を重ねました。私はその年、と思っていましたが、ノーベル化学賞は2年後の1993年12月でした。

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