田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(312) 患者のことを考えなかった時代
国の誤った隔離政策で離散させられたなどハンセン病の元患者の家族561人が訴えていた集団訴訟の判決がありました。熊本地裁は6月28日、隔離政策は遅くとも1960年には必要性を失っており、誤った政策の継続が家族への差別被害を生んだと認定しました。賠償額は減額されたものの、行政側の違法や怠慢を具体的に指摘したことが画期的でした。
元患者に対しては2001年に判決が確定し、賠償されましたが、家族は対象外でした。今回の家族への判決では厚生・厚生労働大臣は前記の1960年から2001年までの間に隔離政策を廃止する義務があったのに実行しなかったことが違法とされました。隔離などを定めたらい予防法は1996年に廃止されましたが、法務大臣と文部・文部科学大臣は廃止後2001年まで、家族への偏見・差別を除去する政策や教育をしなかったこと、国会議員も憲法に反するらい予防法の隔離規定を廃止しなかった点で、それぞれ違法だとされました。
今から考えると、日本人のハンセン病の理解やらい予防法は本当に非常識でした。ハンセン病は早くから感染力は低いとわかっていて、ほとんどの国は隔離などしていませんでした。ところが日本で最も権威とされた光田健輔医師が厳重隔離を主張、行政も医師も追随しました。強制収容で家族は崩壊、地区からの村八分、家族のことを考えて患者は実名を隠す、療養所での虐待、と目茶滅茶でした。世界保健機関(WHO)が何度も日本政府に隔離不要を伝えていたのに変えませんでした。
医療に限らず、日本は封建主義が強く、権力者や先輩の意向優先です。行政も先輩の政策を誤りと認めたくないので、自分の担当時には変えようとしません。メディアも同様でした。ちょうどその時代に直面していたら果して自分は書けただろうかと心もとなく思います。らい予防法も間違いを指摘されてから廃止まで何年もかかりました。
障害者への不妊手術を強制した旧優生保護法も同じです。医療は患者のためというのは残念ながら建前でしかない感じです。