田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(62)ハンセン病活動家の神さん逝去
ハンセン病の元患者、神美知宏 (こう・みちひろ) さん(80)が 5月 9日、亡くなりました。神さんは全国ハンセン病療養所入居者協議会の会長として、亡くなるまで現役の活動家でした。 5月12日に東京都東村山市の多磨全生園でお別れ会がありましたが、残念ながら私は出席できませんでした。一時期、神さんにひんぱんにお会いしていたので感無量、の気持ちです。
私は朝日新聞の医療担当記者時代、他の記者が特別に関心を持っている分野は侵略しないようにしていました。歯科、精神科、そしてハンセン病です。ずっと熱心だった記者が事情で取材に回れなくなった時期があり、私が代役だった時、患者側のスポークスマンだったのが神さんでした。
記憶はあいまいですが、スクラップを見ると1994年から96年ごろのようです。ハンセン病患者は療養所に強制隔離され、差別と偏見に悩んでいました。実はハンセン病の感染力は弱く、そんなことをしている国は日本だけでした。間違った政策の根拠になった法律が「らい予防法」です。この法律廃止の本格的な動きは94年 5月の日本らい学会総会からでした。翌95年 4月の総会で学会が廃止を決議、96年 4月に実現しました。
患者協議会事務局長の神さんを、私は18年前の 5月の「ひと」欄に書きました。17歳、高校生の時に療養所に隔離されてからずっと「家族に迷惑が及ばないよう」仮名だった神さんが、本名に戻り、写真つきで登場してくれました。反響は大きかったようです。高校時代の友人からも連絡があり「本当に生き返った」と話していました。それからは患者の社会復帰、人権回復、差別解消などが仕事になりました。
ハンセン病の歴史は不可解です。専門医が権力を持ち、患者を実験動物のように扱い、国も学会もマスコミもそれを後押ししました。学会は「感染の危険はない」と指摘した医師を除名し、隔離政策の廃止は世界から何十年も遅れました。医学系の学会は昔から科学や患者を重視していないことが多いのです。
神さんの生き方はすごい、の半面、本人は不本意だったのかも知れない、と思ったりもします。