田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(528)空港も危険がいっぱいとは
能登半島地震の翌日の夕刻、羽田空港で航空機が衝突炎上という「信じられない」大事故が起きました。滑走路へ着陸した日本航空機が海上保安庁機とぶつかり、双方とも炎上し海保機の5人が死亡、機長が負傷しました。海保機は被災地に救援物資を運ぼうとしていたとのことですから地震と無関係ではありません。
どちらかと言えば日本の新聞やテレビは海保機が管制官の許可の前に滑走路に出たことが「信じられない」感じでしたが、ロイター通信やニューヨークタイムズなど海外メディアは、乗員乗客379人の日航機がわずか90秒で全員が脱出できたことが「信じられない」「奇跡的」と大変な賞賛でした。
1月13日、私も会員になっている勉強会の新年会がありました。1971年に1人の医師の近親者や学友から、さらには知人もと広がった会です。新型コロナの時期を除いて年10回程度の懇話会を開いており、新年会は第495回とのことでした。
会員には民間機の元機長もいました。この事故についての感想では、やはり日航機の全員が無事だったことが一番でした。客室乗務員8人のうち4人が新人でしたが、機長と連絡が通じない状況で自分たちの判断で前方の非常口を開け、乗客を脱出させたことをほめました。
驚いたのはその後の「ニアミスは実はしょっちゅうある」「危ないと思ったことも何度かあった」との元機長の言葉でした。現役時代、何の問題もない完璧なフライトだったと思ったのは毎年何10回も飛んでいるうちの2回程度だと。また、各国の機長に「一番危険な空港は」と聞くと、大抵は「羽田空港」だったとのことです。おそらく2、3分に1本の離着陸はやはり過密過ぎるのでしょう。
元機長は「飛行機は危険と隣り合わせと思っているので、私用ではできるだけ列車で行くようにしている」と話されていたのも意外でした。