田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(496)変わりそうにない日本の差別
ゴールデンウィーク明けの 5月 8日から新型コロナの数々の規制が撤廃され、世の中が一変するような騒ぎです。ウイルスがいなくなったわけでも、感染の危険がなくなったわけでもないのにと、つい思ってしまいます。
変わらないのは世界各地での戦争です。爆撃でボロボロになったウクライナの住居の映像を見ると胸がつまります。市民の住宅に攻撃を加えるロシアの残虐さ。人間は何十年経っても進歩しないものだなあ、世界は変わらないなあと実感します。
日本人の差別意識も同様です。部落、軽重問わずの障害、在日韓国人など外国人、と対象はいろいろです。日本社会はみんな同じ、を求め、個性、違いを認めず、違いがあればみんなでいじめ、差別する社会です。
その 1つが、以前も取り上げたことのある色覚でしょう。日本色覚差別撤廃の会 (略称・てっぱいの会) が 4月に出版した『色覚の多様性~「選別の病理」を問い直す』(高文研)を読みながら、改めてその思いを強くしました。
目には光の 3原色 (赤、緑、青) を感知する視細胞がありますが、その働きの違いで色の見え方は人によって違います。日本では学校の必須検査として色覚検査が行われ、「異常」と判定されると進学や就職が制限される状況が長く続きました。そうした当事者であるてっぱいの会の会員が、色覚の多様な実態、制限の変遷、当事者としてのさまざまな思いや活動を詳しく、分かりやすくまとめた本です。
日本の色覚検査で使われる石原表は実は実際の色彩識別度と違っていて、「異常」とされた人の大半は「社会生活上とくに支障がない」のです。1980年代から規制は緩和され始め、2003年には学校の色覚検査も必須でなくなり、ほとんど行われなくなりました。
こうした動きに反対してきたのが検査をする眼科医です。日本眼科医会は文部科学省を動かし、2014年「保護者の同意があれば検査可能」の道を開き、全国で学校の色覚検査が復活してきています。それも世界で日本だけの過剰な検査、そして色覚差別も日本だけです。変わりそうで変わらないのが不思議です。