田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(471)少年事件の記録は保存すべきでは
法治国家では何よりも法律が正しい、というのは思い込みに過ぎません。現役の記者時代、何度も法律や法律家、裁判のいい加減さに呆れたものです。そのことを記事にしようとしたのに、政治部や社会部の司法担当者は絶対に認めませんでした。メディアと司法は一体であるかのような主張でした。
今回の驚きは1997年に起きた神戸の連続児童殺傷事件の事件記録を神戸家庭裁判所が全て廃棄していたことです。14歳の中学生 (少年A)が、児童5人を次々に襲い、小学4年の少女、小学6年の少年が殺されました。少年の首が中学校の正門前で見つかり、「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと)名の犯行声明文で大騒ぎになったのを覚えています。
少年犯罪は家裁が担当し、罰するよりは教育的な指導で更生を図ります。少年Aも医療少年院で矯正教育を受け、2005年に退院しました。
今回の報道で初めて知りましたが、少年事件の記録保存期間は原則「少年が26歳になるまで」で、世間の耳目を集めた事件は「特別保存」されます。少年Aの事件はどう見ても特別保存の対象ですが、家裁の判断で少年審判記録、供述調書、精神鑑定書など全ての記録が廃棄されていました。他にはない重要な資料が廃棄されてしまえば、今後の検証などもできなくなります。
近年は矯正教育の効果が期待できるのか疑わしいほどの凶悪な少年事件が次々と起きています。裁判や法律が時代にそぐわなくなっているのではないでしょうか。少年Aの場合も社会に戻って出した手記が問題視された記憶もあります。少年はできるだけ保護すべきではあっても効果の乏しい教育では目的に合わず、意味がありません。矯正教育の内容の評価、さらには充実をすべきです。
一部の裁判官の判断で事件記録を廃棄するのは地域や時期で大きな差が生じます。えん罪の可能性もゼロではないし、起きた事件を無かったことにはできません。どんな事件でも記録はきちんと保存しておくべきだと思います。