医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2021年12月20日

(432)医療過誤の家族の悲しみ

 「医療過誤原告の会」の30周年記念シンポジウムが昨日12月19日、会場とオンラインの 併用で開かれました。医療上の予期せぬ間違いや事故の被害を受け、亡くなったりした人 と家族のこの会は、1991年10月に発足しました。訴訟になることが多いので「原告」が入 っています。私は東京の会場で聞きました。
 サブタイトルに「奪われた『命を見つめて』~被害者を家族が語る」とあるように、今回は被害者の人生が何枚もの写真とともに示されました。講演した会員10人のうち数人が途中で涙ぐみ、私も胸がジーンときました。その一部を紹介しましょう。
 永井裕之さんの妻は58歳の1999年、手の手術後、病院が間違えて消毒薬を点滴した事件で亡くなりました。看護師で看護学校教師をし、面倒見が良く、仕事から恋愛まで学生のあらゆる相談に乗り、犬や猫の世話も大好きでした。
 美馬善三郎さんの妻も大学病院の看護師で、何と医療安全の担当でした。2005年、53歳の時、32年勤めた病院で股関節手術後、肺血栓による脳障害を起こし、13年間寝たきりの末2018年に亡くなりました。美馬さんは患者からの贈り物の返送役をさせられました。楽しみは山奥の温泉旅行で車の往復時の夫婦の会話が貴重でした。
 西本和子さんの夫は76歳、膀胱手術から 2週間後の2010年、大出血で亡くなりました。自分で運転し、友達を連れての温泉旅行が楽しみでした。残された夫の思い出のこもる車を修理しながら使うことにしました。
 原告の会の会長、宮脇正和さんは1983年に 2歳 9カ月の次女を亡くしました。軽い肺炎でしたが、大量の点滴による心停止でした。事件で宮脇家は劇的に変わりました。宮脇さんは40歳で転職して病院勤務に、長女は看護師、長男は医師になりました。
 篠原聖二さんの 9歳の長男は2000年、悪性リンパ腫で治療中に肺炎で死亡しました。病院は臨床試験中の薬を無断で大量投与していました。参加していた少年野球チームがユニホーム姿で葬式に参列してくれました。
 金坂康子さんの大学生の娘は脳動静脈奇形の脳出血から回復しましたが、再出血予防手術で脳死状態になり、 1年後の2019年10月に21歳で亡くなりました。不妊治療のおかげで結婚11年目に生まれた娘は家族の希望の星で結婚相手も決まっていました。絵や文章が得意で母宛に残した100 通余りの手紙が金坂さんの宝になっています。
 病院の多くは当初は事故を隠したりごまかしたりしますが、裁判を経て、和解することが多いようです。しかし、家族は忘れられません。「21年経ったが、毎日、あの病院へ連れて行かなければよかった、と悔やんでいる」と篠原さん。医療者は患者の状態を常に注意深く観察し、緊急時にも対応できるようにして欲しいと痛感しました。

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