田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(406)色覚の不思議、眼科医の不思議
先週はズームによる会議が 3回もありました。自室でパソコン画面を見て、講師の方のお話を聞き、必要とあれば質問したりもします。不慣れのせいなのか、聞き漏らしやすいので緊張が強いのか、 2時間も経つとくたびれてしまいます。コロナには早く消えてほしいと願っています。
6月 6日の日曜日は、色覚差別撤廃の会 (てっぱいの会) の総会でした。てっぱいの会はかつて学校や職場で「色覚異常」(今は色覚多様性などと表現)と言われ、辛酸をなめてきた当事者と関係者の集まりです。今年の講演は作家・科学ジャーナリストである川端裕人さんです。川端さんは昨年秋、『「色のふしぎ」と不思議な社会』という著書を筑摩書房から出版されました。
川端さんも小学校の健診で色覚多様性を指摘されました。理科系の大学の多くは進学できましたが、教育学部や医学部の一部に厳しい条件のところがありました。教員や医師になりたいとは思わなかったものの、もやもや気分は感じたそうです。大学を出てテレビ局記者として色に関わる仕事もしたが、とくに問題はありませんでした。
そんな川端さんが再び色覚に関心を抱くようになったのは日本眼科医会が2014年ごろから職業選択における色覚の重要性を訴え、学校健診で色覚検査が徐々に復活してきたことからです。
日本の検査は石原表がほとんどです。これを誤読して「異常」と診断された人の大部分は支障がありません。それを指摘し、1980、90年代の調査や活動で学校健診から色覚検査をなくす原動力になったのが名古屋の高柳泰世・眼科医でした。
本でも講演でも、川端さんの調査、取材の緻密さには驚かされます。色覚の本質や多様性の最新知見、日本で多用されている石原表以外の検査法などで、世界の研究者を取材しました。その結果、石原表の欠点がますます大きくなってきました。
川端さん自身、高柳さんからいろんな検査を受け、「異常ではなかった」との診断を受けています。日本でだけ、なぜそんな過剰な検査が学校健診に取り入れられ、差別が続いたのでしょうか。眼科医の不思議も感じます。