田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(358)川崎先生とついにお別れ
親しくさせていただいた方がお亡くなりになるのは本当に悲しいものです。先週は川崎病の発見者として有名な川崎富作先生の訃報が届きました。6月5日に95歳の天寿をまっとうされたとのことでした。
日赤医療センター小児科の医師だった川崎先生が、従来とは違う熱や発疹症状の幼児に気づいたのは1961年、もう59年も昔です。1967年に患児50人を分析、専門誌『アレルギー』で発表しました。各地の小児科医から次々と報告があり、厚生省(当時)は1970年、研究班を発足させ、全国調査を始めました。第1回調査の患者1857人のうち26人が亡くなっていました。心臓の冠動脈に異常があり、心筋こうそくを起こす重症者がいることがわかり、原因不明のこの病気に医師の関心が高まりました。
私は東京本社に転勤になり、1977年から川崎病の取材を始めました。毎週のように日赤医療センターで川崎先生らと「原因は何か」の議論をしたのを懐かしく思い出します。
1982年は川崎病が大流行しました。小児科が充実した病院には次々と子どもが運ばれ、先ごろの新型コロナ時のように廊下に応急ベッドが並びました。何よりも原因解明が重要と日本心臓財団が細菌、ウイルス、免疫学などの研究者も含めた「川崎病原因究明委員会」を発足させました。私はすぐにも原因の菌かウイルスが見つかる、と期待していたのに、究明できずに委員会は解散してしまいました。
新型コロナといえば、欧米では感染した子どもに川崎病に似た症状が出ていることが注目されています。新型コロナのはるか前から日本では桁外れに患者が多かったし、また、日本の感染者からの川崎病の報告はまだないようです。いろんなウイルスや菌が特定の条件になって引き起こす病気なのかも知れません。
私はこの数年、NPO法人日本川崎病研究センターの総会・懇談会が楽しみでした。奥様と娘さんに支えられ、川崎先生はあまり話されないものの、素敵なニコニコ顔でした。昨年6月に奥様が急逝され、川崎先生もです。私の人生の大きなテーマが丸ごと消えてしまった感じです。