田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(355)戦争孤児たちの悲惨に涙
自粛生活は読書生活です。終活の整理も兼ねて、いただいた本に手を伸ばします。読んだ記憶はありながら、再び読み、改めて感動、ということが少なくありません。星野光世さん著の『もしも魔法が使えたら 戦争孤児11人の記憶』 (講談社、2017年 7月刊) もそうした 1冊です。
星野さんは1933 (昭和 8) 年東京生まれ。両親は今の墨田区のおそば屋さんを経営し、星野さんを含めてきょうだい 5人でした。1945 (昭和20) 年 3月の東京大空襲で両親と兄、妹の 4人が亡くなり、11歳の星野さんと 8歳の妹、 4歳の弟だけが残されました。
3人は新潟の父の実家へ引き取られます。叔父は兵隊で不在、幼児 3人を抱える叔母と祖母が細々と農業をしていました。お湯の中にご飯粒が浮いている貧しい食事。敗戦後、弟 1人を残し、星野さんと妹は母の郷里、千葉の伯父宅に引き取られます。米作農家で農繁期は中学校を休んで農作業でした。星野さんは23歳で帰京、肉屋の店員から事務職などで自活、別れていた弟とも再会でき、イス作りの職員と結婚しました。ご主人が亡くなった後、色鉛筆で思い出すままに昔の生活の絵を描くようになりました。
星野さんは何人もの戦争孤児たちと知り合い、その人たちの人生体験を聞き、それも描くようになりました。そうしてできたのがこの本です。
敗戦時 9歳の女性。鉄工所経営の両親と姉 3人が死亡。母の実家では邪魔者扱いで虐待され、1人残っていた兄のところに逃げました。中学校では昼食抜き、修学旅行も高校進学もできませんでした。神戸で花屋の両親を失った敗戦時10歳の男性。食べ物を盗んで暮らす浮浪児仲間と東京に出ました。腐った食べ物や事故で何人かが死にました。収容所ができ、刈り込みがあり、野良犬やごみ扱いも思い出です。
両親が亡くなった孤児を周囲も社会も守らず、差別していじめました。土地や財産はどうなったのでしょうか。新型コロナ時代、家族の大切さを思うと同時に、社会の冷たさはあんまり変わっていない感じがします。