田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(354)ますます失われる司法の独立性
検察官の定年を延長する検察庁法改正案が新聞で大きく取り上げられています。かなり幅広い反対があるのですが、政府は強行する構えです。森友加計問題を始め、安倍内閣はトランプ政権同様にかなり無茶を重ねていますが、議会の絶対多数を握る自由民主党・公明党がいいなりではどうしようもありません。
5月15日には、元検事総長ら検察官OBが反対の意見書を法務省に提出しました。意見書は1月、検事の定年が検察庁法で決められているのに、安倍内閣が閣議で東京高検検事長の定年延長を決めたことを違法だと指摘し、内閣が裁量で検察官の定年延長を決める法改正は違法を追認することだと批判しています。特定の検察官人事への関与は政権の公然たる検察介入を意味しており、司法、立法、行政の三権分立で守られるはずの司法の独立が崩れていくのは確かでしょう。
とはいえ、現状が三権分立かというと疑問です。すでに立法は行政の支配下ですし、司法もその流れに拍車がかかっています。検察庁法には法務大臣が特定事件に関して検事総長に指示することができるとする「指揮権」が認められています。適用されたのは1954年の造船疑獄事件で犬養健・法相が佐藤栄作・自由党幹事長の収賄容疑の逮捕請求を阻止したケースだけですが、行政優位は明らかです。
最高裁判所以外の裁判官には10年という任期があります。過去の裁判例や思想傾向から時に「再任拒否」される裁判官や「採用拒否」される司法修習生が出ます。決めるのは最高裁が任命する委員会ですが、法務省の意向と無縁ではないでしょう。
日本の刑事裁判の有罪率が高いのは裁判官が起訴状や検察官を信じすぎていることもあると思います。鈴木宗男議員や元外務省・佐藤優氏の起訴、有罪は今でも疑問です。以前に取り上げた滋賀県の湖東記念病院の元看護助手のケースなど、えん罪事件の多いことにもつながります。