田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(327)川崎病また増えたのはなぜ
先週は東京で第39回日本川崎病学会が開かれました。川崎病は乳幼児の発熱、発疹性の病気で、1962年に日赤医療センター小児科の川崎富作医師が初めて学会で発表しました。それから57年が経ちました。私が初めて川崎病の記事を書いたのは多分、大阪学芸部にいた1975年で、それからも44年です。
1970年から2年に1度、発症患者の全国調査が実施されています。自治医科大学公衆衛生学教室が担当し、かつては国の調査でしたが、今は川崎先生が理事長を務める日本川崎病研究センターの仕事です。病院に調査票を送り、今年は2017年18年の患者の症状や治療経過などを書いて返送してもらいました。そのまとめも学会で発表されました。
患者数は1979年、82年、86年と途中に3回の大流行年を除くと、一貫して増え続けてきました。しかし、前回の調査では2015年が過去最高だったのに翌16年は1000人以上も少なくなり、「患者の増加は終わったのでは」との希望的観測も出ました。その分、今回調査は注目されていました。
結果は、2017年は16年からさらに約100人減ったものの18年は過去最高更新の17364人
でした。患者の85%が4歳児以下で、その人口で計算した発症率も過去最高でした。生まれる赤ちゃんの数が減り、乳幼児が減っているのに患者が増え続けています。日本は米国の20倍、中国の8倍など発症率が特異的に高いなど、原因不明の川崎病は本当に謎に満ちた病気です。男児は女児の1.3倍と多いのは従来通り。重症者で心配なのは心臓の冠状動脈異常からの心筋梗塞ですが、2年間の患者32528人中の死者6人は1万人に2人弱ですが、初期の100分の1で、免疫ブロブリンやステロイドによる治療の成果です。
「僕が元気なうちに原因を解明して欲しい」といつも話している川崎先生はもう94歳です。やはり小児科医でいつも先生に付き添い、甲斐甲斐しく世話されていた奥様が、何と6月に亡くなられました。センターのニュースレターで先生が「川崎病の歴史の影の功労者」のタイトルで追悼報告をされているのを読んで驚きました。