医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2019年10月15日

(325) 数10年に1度の災害の怖さ

 12日夜は台風19号。気分的精神的か、それとも気圧などの関係か、喉の痛みがいつもよりひどく、「狩野川台風以来」「数10年に1度の重大な災害が予想される」との言葉に釣られ、テレビニュース漬けで過ごしました。
 13日朝になって各地の河川氾濫の映像に驚きました。千曲川の堤防が切れ、長野市の広範囲の住宅地が水浸しです。ドロ水で床も畳も家具も目茶苦茶で心が痛みました。福島県・宮城県の阿武隈川、埼玉県の都幾(とき)川、越辺(おっぺ)川、栃木県の秋山川と次々に氾濫地域が映りました。湖のなかの集落が水墨画のようです。私は日野市に住んでいますが、知人もいる近くの浅川、多摩川の堤防は無事だったらしくてホッとしました。
 地球温暖化の影響のすごさ、近年の気象の荒っぽさを痛感します。今年は運に恵まれても来年、再来年は、などと考えると、河川の近くは危険です。台風絡みの集中豪雨で記憶に残るのは2018年の「平成30年7月豪雨」でした。倉敷市真備町一帯が水没し、51人が死亡しました。広島、愛媛などを合わせて死者・行方不明者は271人も出ました。
 ヘリコプターからの映像では、切れた堤防はどれも、か細く見えました。私は故郷の富山で、子どものころよく遊んだ常願寺川を思い出しました。3000メートルの立山連峰から扇状地を流れる川を、外国から招いた著名な技師が「これは川ではなくて滝だ」と言ったそうです。土砂で川底がすぐ高くなる「天井川」で、氾濫を防ぐため、建設省(当時)が工事事務所を常設し、川底をさらって砂利を取っていました。安全のための管理の重要性を改めて感じます。河川敷はかつてはグミ林で、グミ摘みが何よりも楽しみでした。河川敷は自然のままで、堤防はもっと幅があった印象です。
 狩野川台風は1958(昭和33)年、14歳、中学生ですからその頃です。狩野川台風死者・不明者は1200余人とありました。今回は70人ほどが亡くなられたようですが、災害の規模からすると着実に減っているようです。やはり防災対策が進み、テレビやネットでの危険情報周知のおかげもあるのでしょう。

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