田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(308)色覚の記事を振り返る
日本色覚差別撤廃の会(荒伸直会長)の創立25周年記念の集いが6月2日、名古屋市ので開かれました。色覚についてはちょうど1年前、このコラムでも書きましたが、日本に際立つ不思議な差別です。報道は本来は脇役の観察者ですが、今回は記念スピーチを頼まれため、改めて昔のことを整理してみました。
色覚問題で私が最初に書いたのは1984年10月、教科書協会が色の組み合わせなどを工夫し、地図やグラフを見えやすくしようと手引き書を作ったとの記事でした。名古屋市の眼科開業医、高柳泰世先生が色覚に問題のある子どもたちからの訴えを知り、教科書会社に改善を求めた結果です。彼女が自費で全国の大学入試要綱を取り寄せ、多くの大学が色覚で入学制限をしていることなどを調べるなど、次々と差別を告発しました。
2004年まで私は色覚絡みの記事を30本ほど書きましたが、大学の入学差別など6本は大阪本社のデスク時代でした。編集者であるデスクはふつうは記事を書かないのですが、資料を渡しても色覚問題に興味を持って書いてくれる記者がいなかったのです。1994年5月に当事者の会である撤廃の会が結成された時の記事は社会面1段の小さな扱いでした。新聞社全体が色覚問題にほとんど関心がなかったことがわかります。
孤軍奮闘ともいえる高柳先生のおかげで大学入学や就職時の差別は激減し、小中高校での色覚検査も2003年に廃止されました。ところが日本眼科医会は「本人が早く知ることが必要」と主張、半数ほどの市町村で検査が復活しています。他国にない、差別につながる検査がなぜ必要なのでしょうか。私はスピーチで日本の医師が患者を軽視し自分たちの利益に走っており、医学教育でもっと倫理学を充実すべきと強調しました。
日本では患者に役立つ治療や技術が国や学会から無視されたり、妨害されたりすることが少なくありません。やっかみや面子、間違った思い込みなどのせいです。