田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(300)えん罪事件多すぎ、また看護助手も
最高裁は先月、殺人罪で服役した元看護助手Nさん(39)の裁判やり直しを認める決定をしました。滋賀県の病院で2003年5月、男性入院患者が呼吸器不全で亡くなりました。入院時から意識がなく、自発呼吸も弱く、人工呼吸器が不可欠な患者でした。翌年7月、担当していたNさんが呼吸器を外したとして逮捕され、懲役12年の判決を受けました。決定的な証拠がなく自然死の可能性もあり、再審では無罪判決が確実視されています。
日本のえん罪多発の一番の原因は自白偏重です。Nさんも警察の取り調べで素直に自白しました。軽度の発達障害があるNさんは担当の警察官に好意を抱き、喜ばせたいと自白したらしいのです。推理小説では脅したり、おだてたり、あきらめさせたりしてうまく自白させた刑事が優秀だとして評価されます。本来は証拠が重要ですが、日本では警察に限らず、検察も裁判官も「自白は最大の証拠」意識が染みついています。そのために警察官は自白と合わない証言や証拠は裁判には出さず、極端な時は、自白に合う証拠を作ったりしました。事件が迷宮入りになると捜査の不備や無能さが社会全体から非難されるため、警察は無理やりにも解決したい気持ちになるのも理解できないことではありません。
古巣の新聞の社説はいつも通り「警察と検察は自白偏重の捜査を戒め、裁判所が捜査をチェックする。冤罪 (えんざい) の根絶に向けて決意を新たにせねばならない」でした。それが何十年もできないのが日本です。
『週刊現代』(4月6日号) の「じゃあ、新聞はあの時、どう報じていたか」とのタイトルの特集が目につきました。記事によると、逮捕時はどの新聞も警察情報で「呼吸器外し患者殺害」を報じ、懲役12年の判決時にも、Nさんが公判で自白を否定し、無罪を主張したことは報道されませんでした。多くの事件で新聞は「犯人」を攻撃、えん罪と確定されると「○○さん」に一変して捜査を批判します。『週刊現代』が当時、この事件をどう報じたかはわかりませんが、新聞批判は意義あることです。
現役時代、私は社会部記者が警察や裁判所と、官庁担当記者が省庁幹部と、政治部記者が有力政治家とべったりで、不正確なニュースが出てくるのを何度も見ていました。幹部に指摘しても「まあまあ」で、そうした幹部ほど上に行きます。日本社会はどこでもそうなのかも知れませんが。