医療ジャーナリスト 田辺功

メニューボタン

田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2013年8月26日

(25)色覚異常の差別をなくす

 
 8月25日は名古屋の日帰りでした。眼科医の高柳泰世・本郷眼科神経科院長(82)の一族と親しい友人が集まるパーティがあったからです。高柳さんは本当に立派な医師です。30年来の付き合いになる彼女のことを書きたい、と思います。
 高柳さんは1973年に眼科医院を開業し、校医を引き受けてすぐに、色覚異常(高柳さんは「色覚特性」と呼ぼうと提言していますが)の子どもの相談を受けました。その時に、色覚異常だと理科系の学校に進めないとか、色を扱う職業には就けないなど厳しい制限があることを知ったのです。実は高柳さんは神経内科医の夫の留学で2年間、子連れで米国に滞在しました。その時、米国には色覚異常の医師や研究者が結構いて、何も問題になっていなかったことから、日本はおかしいんじゃないか、と思うようになります。
 80年代、高柳さんは、色覚異常の子どもの訴えから教科書会社に掛け合い、見やすい教科書の図作りを手伝いました。圧巻は自費で全国の大学の入試要綱を取り寄せ、職員総動員で色覚異常による制限を調べたことです。朝日新聞の医療担当記者だった私は感銘を受け、報道で支援しました。警察官や教員がなぜ色覚異常ではだめかと追及するなど孤軍奮闘に近い高柳さんの活動で、現在は入学や就職の制限はほとんどなくなっています。
 色覚異常は日本人男性の4.5 %、女性の0.2 %もあります。日本の著名な眼科医が開発した「石原表」検査表は非常に鋭敏で根こそぎチェックします。今でも誤解がありますが、色覚異常の人は色が見えないのではなく、ほんのわずか見え方が違うだけです。個人差もあり、生活や仕事に支障のない人が大部分です。それがなぜか学校健診に導入され、眼科医の多くは早く見つけて、誤った道に進まないようにするのが子どものためだ、と信じ込んでいたのです。それが逆に、多くの人の人生を無理やり変える結果になりました。
 この検査法は世界中で評価されていますが、何と学校で色覚検査をしていたのは世界中で日本だけ、差別も日本だけ、でした。

トップへ戻る