医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2018年1月29日

(240)医療者の卵に授業あれこれ

 先週の月曜日、1月22日ですが、私は大阪府高槻市の大阪医科大学で、医学部、看護学部の1年生を相手に90分の授業をしました。「医学概論」という科目の1コマです。
 前半で私はジャーナリスト兼患者の立場から、医師、看護師の卵たちに「温かい心、豊かな社会性ある医療者をめざしましょう」と訴えました。とくに知ってほしいのは患者の思いです。昨年亡くなった日野原重明・聖路加国際病院名誉理事長の「医学生や看護師は死なない程度の病気をするといい」との言葉や、16世紀の床屋出身医師パレの「医師がすべきことは」の話をしました。
 それから、医療者は人間や社会にもっと関心を持つべきだと強調しました。そのために新聞や雑誌を読むことも勧めます。メディアは毎日、医療を報じ、患者はそれを読んでいるのに忙しいからと医療者は無関心です。不正確な医療ニュースが放置されれば、患者の誤解は深まります。
 何年か前から、学生に新聞や雑誌の医学・医療関係記事のレポートを事前に出してもらっています。授業の後半は、好きな記事の問題点などを短くまとめてもらったこのレポートをもとに話し、こちらから質問したりします。
 ほとんどが昨年11、12月の記事ですが、がん関係だけでも13、4 本の違う記事が出ています。テーマを一覧表にすると、臓器移植、薬、iPS細胞、遺伝子、不妊、安楽死など内容は多岐にわたっています。しかし、学生のほとんどは普段は新聞などは読んでおらず、他の人が選んだ記事の中身も知りません。こんなにたくさん記事が出ている、と驚いてほしいのです。指名して「あなたの選んだ記事の内容を皆に説明してあげてください」というと、なかには1カ月前に自分が出したはずのレポートなのに「覚えていません」と答える強者もいます。さほど忙しくない学生時代からこうだと、多忙で過酷な医療者生活ではますます社会から遠くなります。
 とくに医師は先生や先輩の教えが絶対で、他の病院や医師の診療に無関心です。そうした習性は学生の時から始まっているんだ、と妙に納得してしまいます。

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