田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(22)伊能忠敬の町・佐原
私が参加している勉強会の1つ「木曜会」恒例のバス旅行で、7 月27日、千葉県香取市佐原の伊能忠敬記念館などを訪ねました。長く済生会中央病院にいらした榊原功一先生を中心に広がった会で、一昨年、創立40周年を東京湾クルージングで祝ったことを思い出します。お医者さん、歯科医師さんが何人かと、研究者、企業の人、趣味に生きる人、何をされているのか私はよく知らない人などの集まりで、半分以上は最初の職をリタイアしています。月に1度程度の雑学的な勉強会のほか、家族や友だちも誘えるバス旅行が年2回ぐらいあり、この日は14、5組の夫婦を含めて35人が参加しました。
利根川沿岸の佐原は「小江戸」と呼ばれ、江戸への農産物を送り出す拠点として栄えたそうです。佐原の名主で酒造業の伊能家に婿入りした忠敬は49歳で家督を息子に譲るのですが、それからが偉いですね。興味のあった天文や暦学の学問をしたいと江戸に出て、幕府の天文方の高橋至時に弟子入り。55歳の時、幕府の蝦夷対策の一環である北海道南部の地図作りを引き受け、実地に測量をしました。以来、73歳で亡くなるまで次々に各地の測量を引き受け、日本全図を作り上げたのですから大したものです。記念館が所蔵する2345点の関連資料は国宝に指定されました。忠敬の作った地図と人工衛星から見た日本を重ねた展示で、下北半島の位置などわずかしかずれがないのに驚きました。
栄養がよくなった現在、年齢は7掛けといわれます。昔の49歳はいまの70歳、55歳は79歳です。「決して遅くはない」と、会員たちを元気づける話です。
私は忠敬の日本全図の複製を体育館の床一杯に敷いての展示を見たことがあります。インターネットで調べると「完全復元伊能図全国巡回フロア展」で、2009年4月、 東京・深川スポーツセンターでした。友人が力を入れていて、私は朝日新聞社の後輩に頼んで、新聞記事にしてもらったのを思い出します。同展はいまも続いていて、今年は11月に那覇市と鹿児島県指宿市で開く、とありました。