医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2017年3月27日

(198)仕事中毒が前提の働き方改革

 日本の法律や官僚はいかにでたらめか。森友学園の国会答弁を連日聞いていて、本当にがっかりします。さらにその典型なのが、残業規制問題です。
 働き方改革の1つとして、「残業時間の上限規制」が焦点になっています。話し合いの過程で、極めて忙しい例外的の月の上限を、経営側の経団連は「100時間」、労働側の連合は「100時間未満」を主張して譲らない状態が続いていたのを、安倍首相が要請し、連合側の「100時間未満」になったようです。首相の「英断」を評価したような報道がありました。日本の労働者は通勤時間が1時間以上もかかることがあります。それに残業が3、4時間プラスされれば、働きづめの毎日です。労働基準監督署が過労死と認める基準が月100時間。その水準です。
 労働基準法は週40時間、1日8時間を労働の上限と決めています。本来はそれだけでいいものを、経営側の意をくんだお役所は「36(サブロク)協定」という抜け穴を作りました。経営者と労働組合が結べば上限を撤廃できるこの協定を大半の企業が活用し、日本では残業規制は事実上なくなっています。
 電通社員の過労死自殺事件などもあり、やはり規制が必要との空気が高まりました。それなら「36協定」に「週1時間」などわかりやすい上限を設ければいいわけです。ところが改正原案は「上限を月45時間」、「特に忙しい時期は月100時間、2カ月の平均が月80時間」で年間を通じて「月平均60時間 (年間720時間) に抑える」などとなっています。とても複雑で、普通の労働者が「今月はオーバーしそう」などと計算できません。労務担当者が「まだ大丈夫」といえば残業になりそうです。
 そのうえ、さらに抜け穴があるとの報道が3月18日にありました。原案は休日を除外した数字なので休日にも働いてもらうと、720時間は960時間になるというのです。
 結局、政府も企業も、時には組合も、ポーズは示すものの働く人の健康や生活を守ろうとの意識はほとんどないことがわかります。若い人たちがこうした仕打ちにどこまで耐えられるだろうか、と心配します。

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