田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(162)結果は「想定内」だったが
昨日は参議院議員選挙でした。深夜までテレビに付き合うなんて習慣は卒業したので、今朝の新聞でその結果を知りました。ほとんどは「想定内」。自民・公明の与党が一方的に勝つのはまずい、と思っていましたが、ギリギリのところで踏みとどまったようです。各紙の選挙予測もまず的確で、びっくりする記事は目につきませんでした。
40年も新聞社にいたのですが、選挙は最大のお祭りでした。選挙関連といえばむだな出費も許されます。新聞社の最大勢力は政治部と経済部ですが、政治部は直接政治家と経済部は財界と大企業を通じて政治家と癒着していました。政治部記者の最高の目標は政治家とコネをつけ、政界に転じることでした。後で知ったのですが、有力派閥の担当記者は平気で対立派閥を陥れる記事、間違った観測球記事などを書いていたのですからひどい話です。私の属していた「科学部」は数少ない政治無縁の部署で、紙面に余裕のない選挙期間は、若い記者は社会部の手伝い、ベテランは休暇、が普通でした。
タレント、スポーツ選手、学者など、少し名前が売れると近年は政治家を目指す人が多いようです。特権があって常にチヤホヤされ、偉そうにできるのが魅力なのでしょうか。知られている以上にもうかる商売だからでしょうか。
政治家が優秀とか、考えが立派、人気が高かったのは昔話です。米国のブッシュ、ニクソン大統領もヘンだったし、今度の大統領選候補のトランプさん、クリントン女史もヘンだし、不人気です。安倍さんのアベノミクスも支離滅裂。そうした人たちが国民から一番支持されるのは、どこの国民もおかしくなっているということなのでしょう。
二世、三世議員を生む政治家の家系も不明朗です。先の国会で、安倍首相が父親から財産で受け継げば相続税がかかるのに、政治資金だと団体名を変えれば無税、との指摘がありました。退職後は政治家を目指す官僚も少なくありません。国民が気づかないところでの政治家への配慮は、政治家にとって当然のことなのでしょう。
選挙で選ばれた政治家は何ができるのでしょうか。オバマ大統領は例外的なほど立派な方とは思います。黒人高官が多い政府の下でも警察官が黒人を射殺する事件が続き、人種対立が解消しません。政治が根本を変える、というのは幻想かも知れません。