医療ジャーナリスト 田辺功

メニューボタン

田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2016年6月21日

(159)医師の死角、患者の死角

  6月19日、日本医科大学で「癒しの環境研究会」が開かれました。1994年、高柳和江・日本医大助教授 (病院管理学) =当時、が、日本の劣悪な病院環境を少しでも改善しようと立ち上げた研究会です。活動の一環として、近年は、患者に寄り添い、笑顔を取り戻すことで症状の改善をめざす「笑い療法士」の養成なども行っています。
 今回のテーマは「しかく」。資格、死角、視覚と、いろんな漢字が思い浮かびます。そのなかで、私がいただいたタイトルは「医師の死角、患者の死角」でした。
 医師は数多くの、かつ深い、技術や知識を必要とする職業です。昔は独学や薬草から自然にそれを学んだ人が医師でした。やがて、師から直接、技術や知識を手ほどきされた弟子が後を継ぎました。弟子の数が増えると塾や学校に、さらには資格を証明する免許という形にまとまります。
 免許を持っていても医師により技術や知識は大差があります。そのうえ、無免許の偽医者、多くは軍隊の衛生兵上がりが各地に出現しました。
 私は「医師の死角」は・患者を知らない・先生、先輩の教え絶対主義・結果として医療の目的喪失・治さない医療の横行、を強調しました。そして、それを知らず、医療を過度に信じ込むことが「患者の死角」と話しました。
 私は研究会の2日前、『お医者さんも知らない治療法教えます』を西村書店から出版したばかりでした。その本では、私が確信している「治す治療法」を紹介しています。普通の医師のアイデアのせいか、治す治療法は何年たってもほとんど広がりません。
 医師は習性として、教えられたことを真実と受け止めます。腰痛も認知症も治らない、との絶対的な教えに対し、「治す方法を見つけた」という医師はうそつき、ペテン師に決まっています。一社が画期的商品を出せば、他社は一刻も早く類似品を出すために秘密を探りに出かけます。しかし、医師は見ることも調べることもなく、患者の質問に「そんなに簡単に治ったら、だれも苦労しませんよ」とせせら笑うのです。
 「医師の仕事は」と問われた16世紀フランスの医師パレは「まず病気を治す。だめなら症状改善を、それもだめなら痛みの軽減を。全部だめなら患者の手を握り『私が付いているよ』と慰める」と答えたそうです。昔の医師は立派だった、という気がします。

トップへ戻る