田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(158)医師への感謝、なぜ普及しない
先日、『丹波新聞』の足立智和記者の話を聞く機会がありました。丹波新聞は兵庫県で週2回約13000部発行の地方紙。テーマは兵庫県立柏原 (かいばら) 病院の小児科を地元のお母さんたちが支えて存続させたという有名、かつ感動的な話です。
「丹波医療圏」は丹波市と篠山市を合わせ人口11万人で、2006年までは県立柏原、柏原赤十字、兵庫医大篠山病院の3病院に小児科医が7人いました。しかし、臨床研修制度の始まりで大学の医師引き揚げなどがあって激減、07年4月には柏原病院の院長ともう1人だけ。その医師も「負担が重すぎる」と5月には辞める意向でした。
足立さんは4月初め、新聞で大きく「県立柏原病院の小児科存続危機」を報じ、続報用に知り合いのお母さんの座談会を開きました。最初は「困る」「不安」ばかりでしたが、1人が喘息発作の子どもを夜間救急に連れていった経験を話しました。正月の夜8時に行ったら30人近くがいて、午前2時に診断、午前4時に入院。お母さんが朝、目が覚めると枕元に「処置しておきました」のメモがあり、同じ小児科医が外来で診察をしていたので、医師は寝ずに働いていることがわかりました。「先生のあんな姿を見たら辞めんといてとはよう言わん」で、ふんいきが一変したそうです。
足立さんの示唆もあったのでしょう。「県立柏原病院の小児科を守る会」ができ、1カ月で5万5000人の署名を集め、知事に要望を伝えました。しかし、県は無視しました。この次からの活動がユニークでした。「行政に頼らず、お医者さんが働きやすい地域を作ろう」「今いるお医者さんを大切にしよう」。具体策として・コンビニ受診を控える・かかりつけ医を持つ・お医者さんに感謝の気持ちを伝える、という中身に変わりました。
病院にはお母さんたちから医師への感謝の手紙が続々届くようになりました。やめる決心だった小児科医が残り、神戸大学病院が医師を派遣してくれ、臨床研修施設にもなり、小児科だけでなく、県立柏原病院が生き返りました。柏原赤十字病院を事実上吸収しての合併が決まっているようです。
全国どこでも病院医師の労働ぶりはブラック企業を上回ります。国の決めた医療費の公定価格が安すぎ、医師を増やすと病院は経営できません。一方、患者は気楽に受診し、気楽に救急車を呼び、医師の負担を増やします。病気はすべて治るわけではないのに、患者の理不尽なクレームも増えています。
兵庫県のお母さんは偉い、地方紙の記者もすごい、と改めて敬服です。