田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(157)臨床研究のいい加減さにがっくり
医療に直結する臨床研究が、日本では少なく、またレベルも低いといわれています。なるほどと思えるニュースがありました。聖マリアンナ医大が統合失調症の患者を対象にした臨床研究を計画通りに実施しておらず、大学が研究を打ち切っていた(『朝日新聞』5月19日夕刊) というのです。
計画では、承認されている2種類の治療薬の効果の比較研究でした。09年から16年1月まで、初めて診断された統合失調症患者40人にどちらかの薬を1年間飲んでもらい、効果を確認するはずでした。ところが、研究代表の准教授は09年から11年の患者23人に同じ薬を飲ませ、12年からの患者17人にはもう一方の薬を飲んでもらいました。おそらくはどちらの薬か、医師も患者もわからないでする比較試験だったのでしょうが、これでは医師は最初から薬がわかっています。
しかも、研究者は最初の薬だけのデータで 2本の論文を書きました。さらに不可解なことに、日本神経精神薬理学会は昨年秋に作ったガイドラインで、この薬が「高い有効性と安全性を認めた」として、この2本の論文を紹介したということです。
「効く薬」に当たっていると医師や患者が信じるだけでも思い込みで効果が高まりますし、親しい企業の薬だと評価も甘くなりがちです。「論文を早く書くためだった」と弁明していますが、研究者の狙いは見え見えです。バイアスがかかった研究は近年はしっかりした論文と認められなくなっているはずなのに、あえてガイドラインに採用した学会も明らかに異常です。
降圧剤バルサルタン(商品名ディオバン)事件などを踏まえ、厚生労働省は臨床研究の規制を強化する法案を国会に提出しました。製薬企業は研究者に対する資金提供契約を公表し、研究者は国の第三者委員会に計画書を提出して審査を受け、データや利益相反の公表なども義務づけられます。
製薬企業と研究者の不明朗な事件は降圧剤に限らず、いくつもの薬で明らかになっています。そのうえ、有名企業が国に虚偽報告していた事件が続いており、新たな規制法ができても、限界がありそうです。医師や歯科医師の倫理観が特段に向上しない限り、どうにもならないな、と思ってしまいます。