医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2016年4月11日

(150)「5年経っても変わらない津波の町」

 4月6日と7日、福島県いわき市と、福島原発に近い富岡町を訪れました。私は1968(昭和43)年に朝日新聞社に入社しましたが、その時の同期生が毎年、秋に懇親会を開いています。70代で暇になったせいでしょうが、その「68同期会」が初めてのバス旅行を企画したのです。
 いわき市の「スパリゾート・ハワイアンズ」は常磐炭鉱が再出発した温泉施設です。昼食後、施設(常磐興業)の役員から「震災体験」の講演を聞きました。常磐炭鉱は元々、1トンの石炭を掘ると40トンのお湯が出たそうです。石炭に行きづまりを感じた当時の社長がたまたま訪れたハワイに感激し、日本のハワイを目指して観光業に転じ、フラガールで知られるようになりました。
 意外にも役員の話はハワイアンズの震災体験でした。2011年3月11日は震度6弱。被害は少なかったのですが、施設直下を断層が走っており、1カ月後の余震で壊滅的な被害が出ました。絶望的な状況下で、地域産業を守ろうと経営陣は必死でした。社員は片付けと掃除だけ。その間、地元の被災者を受け入れました。フラガールは再開を訴えて全国キャラバンに回りました。社員一丸の努力、地域の協力で、7カ月の休業を経て再開できたとのこと。被災地の復興話は涙なくして聞けません。
 次の日は激しい雨でした。いわき市の北側に富岡町があり、大熊町はその北隣です。福島第二原発と、爆発した第一原発の間に富岡町と大熊町があります。
 富岡港、JR富岡駅の残骸、高さ20メートルの津波に呑まれた後の空き地、シャッター並びの商店街など、ボランティアの説明では「5年経っても変わらない町」。放射能汚染土の黒い袋が山積みです。すぐ近くに第二原発が見えました。
 富岡町は南側から、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰宅困難区域に分かれています。JR駅周辺の準備区域、昼は入れるという制限区域をバスで回りましたが、まだまだの感じです。いろんな話の中で印象的だったのは泥棒です。商店街のほとんどは避難のどさくさ時、商品をごっそり盗まれたそうです。捕まったのはほんのわずかで日本人ばかり。震災報道であまり聞かなかったのは、日本人の評判を気にして、メディアが慎重すぎたのではないでしょうか。日本人の劣化、が残念です。

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