田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(141)政治献金禁止が当然ですが
甘利明・経済再生大臣が辞任してもう2週間近くになります。次々に新たな事件や事故が起こり、政府の対応も報道も重心が移っていくために、半月も経てばどの事件も「忘却の彼方」に隠れていくような感じがあります。
この種のものとしては、甘利大臣の辞任会見は非常にわかりやすいものでした。会ってお金をもらい、口ききをしたのは事実。自分がもらった分は政治資金としてきちんと処理しましたが、秘書が他にもらった分をくすねており、その監督責任から辞任します、といった内容でした。
以前、調べたことがあったのですが、政治資金規正法は何と1948年にできました。日本の政治の裏では不明朗なお金が動いていることに驚いたGHQ(連合国総司令部)が指導してできた法律です。大統領選でわかるように米国の政治にも巨額なお金が動きますが、表向きは公表、透明が原則です。法律はできても抜け道、裏道が多い日本では、有利な計らいを求めて企業や団体が特定の政治家に献金する、事実上の「賄賂」があとを絶ちませんでした。
賄賂ではなく、明朗な税金で政治活動ができるようにしようと94年に政党交付金制度ができました。自民党は交付金の半分以上、年に170億円ももらいながら、まだまだお金が足りないようです。政権復帰とともに少しずつ政治献金を増やしてきていました。
そんな折りの甘利事件です。原則として許される献金先は政党などの政治団体ですが、団体の看板がかかっていない大臣室で面会し、直接お金を渡すのは、どう見ても、献金より賄賂に見えます。政治家の事務所で秘書にこっそり渡し、勝手に流用されるのは、どう見ても賄賂に見えます。日本の政治は昔から何も変わっておらず、交付金制度は効果がなかったことの証明のようです。
議員多しといえど、賄賂を受け取っていたのは甘利元大臣だけだった、と信じる国民は少ないでしょう。献金は抜け道を作らずに全面禁止、発覚は即犯罪といった厳しさがないとこれからも日本の政治は変わりません。民主党はじめ各党、政治家に弱い検察の対応に注目しています。