医療ジャーナリスト 田辺功

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田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」

2016年1月18日

(138)無責任司法が、えん罪を量産

 女性を暴行したとして懲役4年の判決を受けていた鹿児島の男性の控訴審で1月12日、福岡高裁宮崎支部が無罪判決を出したとの報道がありました。男性は2012年10月、17歳の女性を暴行した、として起訴されましたが、一貫して無罪を主張していました。鹿児島県警は唾液状付着物と精液のうち、付着物のDNA型が男性と一致したと鑑定し、一審の鹿児島地裁は付着物と女性の証言から有罪としたものです。
 控訴審で高裁支部は弁護側の請求で微量の精液を再鑑定、男性のDNAでないことが判明しました。また、県警の鑑定に疑義があることも指摘しました。
 しばしば大きなニュースになりますが、日本には、えん罪が多すぎます。警察は、こいつが犯人と信じると有罪にすることが正義だと勘違いします。証拠がなくても自供万能だった時代は、警察は脅したり、自暴自棄にしたり、だましたりして自白させ、証拠が重視されるようになると、有利な証拠だけを選んで提出し、時には、ねつ造もしました。裁判官はなぜか警察や検察が正しいと信じ込んでいるので、えん罪になります。ついでにいえば、男女間のトラブルやわいせつ事件では、警察はなぜか女性は正直で言い分は正しく、いつも被害を受ける弱者だと信じ込んでいます。
 暴行否認へのしっぺ返しのように、鹿児島の男性は何と2年4カ月も勾留されていたそうです。勾留期間も長すぎます。司法は常に正しいとの前提に立つ日本の刑法制度は、警察、検察、裁判官の権力が絶対で、ほとんど思いのままです。前提が根本から間違っていることは、えん罪の多さが証明しています。
 昨年12月の『朝日新聞』に、元日本弁護士連合会副会長の坂元和夫氏の「裁判官の責任問うべきだ」との投稿が載りました。最高裁は弘前大学教授夫人殺人事件にからんだ1990年の判決で「裁判官に違法、不当な目的がない限り、誤判の責任はない」としているそうですが、坂元氏は「裁判官が責任を問われないことが職業意識を弛緩させ、誤判を生み出している」と指摘しています。
 「疑わしきは被告人の利益に」「推定無罪」が刑法の原則といわれます。証拠なき自白や選ばれた証拠など、少なくともこの原則に反してえん罪を生み出した場合、私は、裁判官に限らず、警察官、検察官も責任を問われるべきだと思っています。

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