田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(136)年末年始は年賀状書き
みなさん、明けましておめでとうございます。いよいよ2016年の始まりです。
集団自衛権を認める安保法案が国会で可決され、今年から自衛隊の活動範囲が広がるようです。テロ全盛という世界では、自衛隊が攻撃され応戦、戦争に巻き込まれるといった場面がありそうな気がします。
年末年始の私は、ほとんど年賀状書きでした。この何年か、出すのは2000枚前後。住所のラベルだけはできていましたが、本文のパソコン印刷は12月30日で、31日から住所ラベルを貼りはじめました。
年賀状というと虚礼の代名詞のように取られることもあります。ある年に出すと向こうからも来て、次の年もその次も。そのうち機械的になって、いつの間にか、どんな人だか忘れてしまっている、ということがたしかにあります。
記者時代の取材先の多くは年上の方です。近年は「高齢につき、年賀状は今年限りにさせていただきます」との年賀状が増えてきました。お世話になった方なので訃報を聞くまではと出していると、ご家族から「実は 3年前に亡くなりました」との葉書が届いたりします。時には大きな喪失感があります。
虚礼にしないためには、実のこもった年賀状にすればいい。もっとひんぱんなやり取りを年1回に濃縮した形と考える。可能ならば会う機会を作って親交を深める
そこで2016年版は、できるだけ一言を加えることにしました。まず、ラベルの名前を見て顔を思い浮かべます。何をしていてどこで会ったか、と考えます。ところが10人に1、2人はつっかえます。同姓でほとんど同じような名前の知人もいます。送ってもらった本の著者だと分かってもタイトルはうろ覚え。間違えてはまずいと確認します。
そんな調子で始めて結局は、かかりきりになりました。テレビで紅白を見たのは大晦日の夕食時だけ。後は箱根マラソン1日目の山登り、2日目のゴール時ぐらい。計算では1通1分で33時間、2分で66時間かかります。
というわけで、実は年賀状書きの完了は、何と本日夜になります。届くのが遅くてすみません。来年はもっと早くスタートします。