田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(195)いいかげんな診断書、いつまで
次々に飛び出す大ニュースの陰に隠れている感じですが、虚偽診断書事件の疑いで2月14日、京都府警は同大学病院と大学学長室などを家宅捜索しました。
大学病院の院長らが出していた「拘禁に耐えられない」との診断書や意見書で、暴力団組長の刑の執行が停止されていたという事件です。組長は同病院で14年に生体腎移植を受けていました。担当医は組長の刑務所への収容は可能と見ていましたが、院長から「拘禁に耐えられない」との意見書を書くように指示されました。しかし、担当医はあくまで医師の診断や裁量の範囲として院長をかばっているようです。
院長は組長と親しい学長から頼まれたか、その意を汲んだのに違いありません。そのうえで、「この症状は軽視していいのか」「本当に大丈夫と言い切れるか」「患者を守るのが君の務めじゃないのか」などと担当医を誘導したのでしょう。
医師の診断書は休職、入退院、各種補償の給付など、生活の重要場面で活躍します。1人の医師の判断で有効なことが多く、責任は非常に大きいのですが、医師は案外、気楽に書いている感じです。
10年ほど前ですが、1人の耳鼻科医のニセ診断書で、耳が聞こえないと偽って何百人もの人が身体障害者手帳や障害年金を受けていた事件が07年北海道でありました。犯罪は言語道断です。同じころ、20人ほどの社員に問診の答を指導し、うつ病の診断書を得て、保険の傷病手当て金を詐取したという事件もありました。統合失調症やうつ病、認知症など精神科の病気は客観的な根拠がなく、問診だけで診断しているため、医師がだまされたのです。相模原市の施設で大量殺人をした元職員も問診だけで退院できました。精神科は明らかに診断そのものが疑問です。
日常的にも、同じ障害等級や介護度なのに傍目ではえらく違う、との印象を持つ時があります。医師は親しい患者には甘い診断書を書きがちです。患者がしつこく頼むと断りきれないこともわかります。
診断が正確でないのは昔も今も、10年20年後も、でしょうか。