田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(155)ハンセン病の間違い
最近、何度かハンセン病が話題になりました。4月25日には最高裁事務総長が記者会見し、ハンセン病療養所内で開かれた「特別法廷」について「社会の偏見や差別の助長につながった」として謝罪しました。あまりなじみのない話ですが、特別法廷とは、大災害時などにやむなく裁判所外で開かれる裁判のことです。1948年から77年までに開かれた113件のうち95件はハンセン病関係だった、ということです。患者が出廷するため、感染を恐れての対応でした。
ハンセン病はかつては「らい病」と呼ばれ、重症だと顔や手足が変形して醜くなるために気味悪がられました。時に家族内での発病があり、感染を恐れて中世から差別や偏見の対象になってきました。1873年ハンセンにより原因菌が発見されていましたが、菌の感染力は弱く、衛生的な環境下では発病率は極めて低い感染症でした。
ところが、日本ではなぜか、ハンセン病は特別な病気でした。1907年に国は患者の隔離政策を始め、53年には患者の強制収容を定めた「らい予防法」を制定、96年まで存続させました。家族との縁を切られた状態で、13の国立ハンセン病療養所にいまも約1600人が暮らしています。
欧米でも当初は感染防止に隔離政策が考えられたようですが、すぐに必要性が乏しいとわかりました。ところが、日本の第一人者だった光田健輔医師は軍国主義下で厳重隔離を主張、学会ぐるみで良心派の医師を「国賊」と弾圧し、政府を動かしました。国際専門家会議やWHO(世界保健機関)は何度も「ハンセン病の隔離政策は不要」との決議をしていますが、日本政府だけが無視を続け、世間には海外の状況を隠していました。正しい基準であるべき司法も「ハンセン病は怖い」と恐れ続けていたことが特別法廷から明らかです。狭い日本は政府寄り有力医師1人の主張だけで間違えます。
私は医療記者でしたが、別にハンセン病専門記者がおり、私自身も厚生労働省には出入りしていませんでしたので、国策病のようなハンセン病にはほとんどタッチしていませんでした。「何でこんな馬鹿げたことが」と驚いたのを思い出します。
感染症発生地や空港の消毒作業など、法律に基づいて日本だけが実施していることが他にもいくつかあります。次々に起こる新事件に目が移ってしまいがちですが、だれかが検証しなければなりません。