田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(56)冤罪事件ってひどい
先月27日、静岡地裁が、袴田巖・死刑囚の再審を決め、袴田さんが逮捕されてから48年ぶりに釈放されたとのニュースがありました。1966年に静岡県で一家4人が殺された放火殺人事件です。
これもそうですが、近年は「冤罪」(えんざい)との報道で初めて知る事件がとても多いです。それにしても1年後に見つかった衣類が本人のサイズに合わず、DNA鑑定で、警察による証拠捏造(ねつぞう)の疑いがある、というのだからあきれます。
記者時代、読売のスクープで驚いたのは、弘前事件でした。弘前医大教授夫人が殺され、無職の男性が逮捕され、二審と最高裁で懲役刑になった後、22年後の1971年に真犯人が名乗り出た事件です。男性の衣服に被害者のものらしい血痕があり、これも今回同様に捏造だったと考えられています。
徳島ラジオ商殺人事件、名張毒ぶどう酒事件は再審請求が何度も報道されました。そして1997年に起きた東電OL殺人事件は、佐野真一さんの本を読んだ時からこれは冤罪と思いました。レベルは違っても、鈴木宗男氏、佐藤優氏などもそうでしょう。例のパソコン遠隔操作事件など進行中でも冤罪くさいのがいくつもあります。
第一の原因は警察・時に検察という捜査機関の思い込みです。捜査をチェックすべき検察は、起訴・有罪評価のお役所になり、裁判官も忙しすぎてか、機能を果していません。どの機関も国・政府寄りで、検察・裁判官・弁護士は同じ司法試験仲間です。捏造した捜査員が罰せられたとの話は聞きません。
監視役のはずのメディアは検察、警察、裁判所の記者クラブを通じてベッタリです。80年代に、あまりにおかしい判決なので、記事を書きたいとデスクに持ちかけたら「裁判は神聖なもの。批判記事は許されない」と即却下でした。いまは記者も不足です。
特定秘密保護法もでき、こんなに冤罪が多いと国民は安心していられません。国とは別の公正中立な裁判調査評価機構が必要になりそうです。