田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(397)「新聞ななめ読み」が終わるなんて
古巣の『朝日新聞』で一番参考になっていたコラム「新聞ななめ読み」は 3月26日が最終回でした。NHKの元報道記者、キャスターで、その後もテレビの常連の池上彰さんが14年前の2007年から10年までは毎週 1回、その後は毎月 1回続けた連載です。
同じ事件や会見、発表なのに新聞によって評価が反対、見出しも逆、という記事があります。ある新聞が何10行も書いている部分が他紙は2 、3 行か無視、あるいは逆に 1紙だけがその部分抜け落ち、ということもあります。池上さんは比較検討し、取材不足や表現不足、故意の無視、政治的判断などと分析します。『朝日』は業界用語の多用や表現で難解、意味がはっきりしないなどとの指摘が多かった気がします。
昔はまず新聞が書き、週刊誌が周辺を付け足し、月刊誌がまとめ記事、の順でした。いつ頃からか新聞は特ダネ競争で週刊誌に負け気味です。理由ははっきりしています。権力が情報を漏らさなくなったからです。事故、事件記事が断片的なのは警察発表がそうなったからです。かつては仲良しの警官がいると、耳打ちやうなづきで、未確定情報まで知ることができました。政府の官僚も情報をうまく報道機関に流すのが仕事でした。政治家に任すと国民のためにならないと分かっていたからです。ところが、近年、政府の権力が強まり、逆らう官僚は簡単に首になります。情報も政府が独占し、報道機関に流れなくなりました。政府はいくらでも嘘をつけるようになったわけです。
池上さんはテーマも内容も自由にと言われていました。ところが2014年、間違っていた従軍慰安婦の記事を「なぜ32年間も訂正しなかったのか」と批判したところ、『朝日』の上層部がコラム掲載を認めず、池上さんが執筆をやめると申し出た事件があり、経緯が書かれていました。上層部の権力が強まり、記事に口出しするようになったのは20年ちょっと前からでしょうか。編集部との約束があっても編集者を交代させればうやむやになってしまいます。
権力が強まるのは腐敗のもとです。『週刊文春』にできることができないはずがありません。我が後輩たちの奮起を願っています。