田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(9)薬害大国、裏の裏
肺がん治療薬「イレッサ」の危険性の注意が不十分だったかどうかで争われた訴訟が4月12日の最高裁判決で全面決着しました。
2002年に認可されたイレッサは、それまでの抗がん剤とはいろんな意味で違っていたと思います。第一に、薬の認可に消極的で遅いといわれた日本が、世界に先駆け、それも申請から5カ月という超スピードで認可したこと。副作用が少ないはずの分子標的薬とのことで、臨床試験時から研究者は「夢の新薬」と宣伝していました。従来は、認可前に報道されると厚生労働省がへそを曲げ、かえって認可が遅れる、と製薬企業は取材を拒否したりしたのですが、厚生労働省とのあうんの呼吸か、そうでない第1号でした。それが認可直後から間質性肺炎で亡くなる患者さんが続出しました。
被害者遺族の訴訟は、医師向けの説明書に、間質性肺炎の副作用の警告が十分でなかったことを巡って製薬会社と国の責任を問うたものです。東京地裁は両者の責任を認め、大阪地裁は企業だけ、さらに東京と大阪の高裁、最高裁は責任を認めない判決でした。
日本の薬害訴訟では、製薬企業の責任が問われるのは当然ですが、副作用のある薬を認可したと、国も責任が問われます。このことが認可の遅れ(ドラッグ・ラグ)の一因なのですが、製薬企業の隠し事を国が見抜くのは至難の業です。
どんな医療用薬剤も患者さんは勝手に使えず、医師の処方が必要です。ところが不思議なことに医師の責任は問われません。薬害スモンの時からそうなのです。医師の処方証明がないと訴訟ができないから、医師は訴えられない、と聞きました。
医師は専門家として、患者さんに適する薬かどうかを判断し、新薬であれば副作用の出現に注意する責務があります。ところが、最初から免責の日本の医師は、注意書きも読まず、患者さんも観察せず、「新薬が出たから」と処方しているようにしか見えません。
日本の医師は患者さんに負けずに、薬好き、新薬好きです。ヨーロッパでは、医師は効能にも副作用にも慎重で、新薬は成果が定着するまではなかなか使わないと聞きました。発売したら飛びつく医師の多い日本では、注意書きをどう変えても薬害大国でなくなることはできない気がします。