田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(277)ワットさんの40年に敬服
今月14日のことですが、乳がん患者会「あけぼの会」の創立40周年記念大会が東京・有楽町の朝日ホールで開かれました。ずっと会長を続けてきたワット隆子さん(78)から「必ず来てね」と一筆加えた案内があり、出かけてきました。年1回の大会にはこれまで2、3度しか参加していませんが、満員の会場のほとんどは女性で、やはり華やかな感じがありました。
ワットさんの開会の挨拶はいつものように、ざっくばらんな調子でした。途中で「そうでしょ、そうよね」「そう思う人、手を挙げてみて」と、賛同を求めます。
実はワットさんはこの大会で会長を退くと宣言ずみでした。最後の機会、とあってこれまでほとんど顔を出したことがない娘ジェニファーさん、息子サンディさんが壇上で紹介されました。英国人の夫、アンドリュー・ワットさんは2005年に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病、2012年に亡くなっています。
「あけぼの会」のスタートは1978年10月ですが、きっかけは『毎日新聞』への投書でした。ワットさんは前年2月、東京都内の病院で乳がん手術を受けましたが、当時の日本はがん告知もほとんどなく、医師の説明も不親切。元スチュアーデスで米国に住んでいたこともあるワットさんは米国の乳がん患者会を念頭に、患者の集まりを呼びかけました。最初は10数人だった会がすぐに全国組織にと発展しました。
私が「あけぼの会」とワットさんの記事を初めて書いたのは1981年4月、37年前のことでした。それから何度か、私が司会を頼まれた日本対がん協会などの講演会で話してもらったのを思い出します。
看病のため6年間も日本と英国を往復した記録をまとめた著書『ワットさんのALS物語』が手元にあります。ワットさんが英会話練習のため、銀座の街頭で声をかけたら逃げ去った外国人がアンドリューさんだった、との出会いが驚きでした。何事にも積極的なワットさんが率いた「あけぼの会」の啓発活動のおかげで、日本の乳がんの医療や患者の知識はずいぶん進みました。ワットさんの40年、すごいです。