田辺功のコラム「ココ(ノッツ)だけの話」
(216)日野原さんで思い出すさまざまなこと
聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明先生が7月18日、亡くなられ、29日、青山葬儀所で葬儀が行われました。私は29日、30日と大阪での学会に出なければならないために最後の見送りができず、残念でした。葬儀には4000人も参列されたとのこと、子どもから新老人までの幅広い人望をうかがわせます。
調べてみると、医療記者として私が日野原さんを取材したのは1978年2月の連載記事でした。タイトルが「習慣病」。心臓病の多くは悪い生活習慣で起こるので、予防のための国民運動が必要だとの指摘です。従来の「成人病」を日野原さんが「習慣病」と呼び始めてから2、3年経ちますが、『朝日新聞』では「習慣病」はほとんど取り上げていませんでした。「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれた日野原さんは、それ以後は与えられた命、患者のために尽くそうと決意されたとのことですが、事件8年後から、ざっと40年のお付き合いです。
自分で計る血圧の重要さ、看護教育の充実、緩和ケア、臨床研修制度などいろんな場面で取材し、コメントをもらいました。そうそう、2006年の『朝日新聞』夕刊連載「ブラックジャックたち」にも登場してもらいました。ブラックジャック、つまり特殊な技術を駆使するいわゆる「神の手」は大抵は外科医ですが、私は内科医の卓越した診断能力も間違いなく「神の手」と確信していました。「おざなり診断憂う94歳」「『聴診器で病7割わかる』」の見出しがついた回では、日野原さんと、主治医を務めた福井次矢・聖路加国際病院院長、大阪の高階 (たかしな) 経和医師ら4人を紹介しました。
88歳の高階さんと8月1日にお会いしました。高階さんは医師のトレーニング機関・臨床心臓病学教育研究会を日野原さんと相談しながら1985年に大阪に創設しましたが、日野原さんは「大阪の人がやるべき」と会長を固辞したそうです。高階さんはその後、医師が聴診などの腕を磨くための心臓シミュレーター「イチロー」を開発したことで世界的に知られています。ふつうの言葉で30分も40分も問診し、聴診器で身体の発するかすかな言葉を聞き取る点で2人の医師は似通っていました。
日野原さんは年齢を重ねるにつれ、医療から広がり、子どもたちに「生命の尊さ」「生きる意味」を語ることが増えました。最後の何年間かは遠くから拝見するだけでしたが、105年の素晴らしい人生、素晴らしい終わり方だったと感動しています。